ツユクサを見つけて、夏の終わりを感じた|「月草」と呼ばれた青い花

エッセイ

ここ数年、私は8月の中旬以降にツユクサが旺盛なのを目にする機会が多く、色だけで真夏のイメージだったツユクサの意味合いが変わった。

なぜか「夏の終わり」を感じます。

まだ暑さは残っている。
夏が終わったわけでもない。

それなのに、この青い花を見ると、夏の盛りを通り過ぎて、少しずつ秋へ向かっているような気がするのです。

夏の道端に咲く、青い花

ツユクサは、道端や草むらなど、身近なところで見かける植物です。朝に花を開き、昼頃にはしぼんでしまうことから、昔からその儚い姿が知られていました。

私も以前なら、「青い花が咲いているな」と思うくらいだったかもしれません。でも植物を見るようになってからは、季節の変化を知らせてくれる植物の一つとして目に入るようになりました。

そして今年、ツユクサを見たときにふと思ったのです。なぜ私は、ツユクサを見ると夏の終わりを感じるのだろう?

古くは「月草」と呼ばれていた

調べてみると、ツユクサは古くは**「月草(つきくさ)」**と呼ばれていました。『万葉集』にも登場します。(2291番歌)

朝咲き夕は消ぬる月草の
消ぬべき恋も我はするかも

朝に咲いて、夕方には消えてしまう月草。その花の姿に、消えてしまいそうな恋を重ねた歌です。

千年以上前の人も、この小さな青い花を見ていました。そして、朝に咲き、夕べにはしぼむという短い命に、「移ろい」や「はかなさ」を感じていた。そう思うと、道端のツユクサが少し違って見えてきます。

ツユクサの青は、移ろう色だった

ツユクサには、もう一つ古くから知られていた特徴があります。

花の青い色は、染料として利用されていました。ただ、その色は水に溶けやすく、移ろいやすいものでした。

だから昔の人にとってツユクサは、単に「青い花」ではなく、変わってしまうもの、消えてしまうものを連想させる植物でもあったのでしょう。

朝に咲いて、夕べにはしぼむ。そして色も移ろう。

そう考えると、私がツユクサを見て「夏の終わり」を感じたことも、少し分かるような気がします。

なぜか、ツユクサを見ると秋を感じる

ツユクサが咲いているのは、まだ夏です。蝉も鳴いているし、暑い日もある。

それでも、ツユクサを見ると、私は夏の真ん中ではなく、その先を感じます。

夏の終わり。
秋のはじめ。

季節が切り替わる、その少し手前。気温やカレンダーだけではなく、植物を見て季節を感じる。もしかすると、こういう感覚が「季節感」というものなのかもしれません。

身近な植物が、昔の人とつないでくれる

面白いのは、ツユクサが特別な場所にしか咲かない植物ではないことです。道端や草むらで、今も普通に見ることができます。私たちのすぐそばにある花です。

そんな小さな花が、千年以上前の歌にも登場している。

同じ花を見て、昔の人も「朝には咲いて、夕方には消えてしまう」と感じていた。時代も暮らしもまったく違うのに、植物を見て感じることには、変わらない部分があるのかもしれません。

だから、植物を見ることは面白い。名前を調べると、その植物の特徴が分かる。さらに調べると、昔の人がその植物をどう見ていたのかまで見えてくる。

ただ道端に咲いていたツユクサが、いつの間にか、昔の人の暮らしや感覚につながっていきました。

夏の終わりを教えてくれるもの

ツユクサを見つけたからといって、季節が急に秋になるわけではありません。

でも、植物を見ていると、季節の小さな変化に気づくことがあります。今日は少し涼しい。蝉の声が少し遠くなった。ヒグラシの泣き声が聞こえる。

ツユクサが咲いている。

そんな小さな変化を拾っていると、夏が少しずつ終わっていくことを感じます。今年も、ツユクサが咲く季節になった。そう思えること自体が、植物を見る楽しみなのかもしれません。

来年の夏も、またこの青い花を見つけたいと思います。そして、そのときにはどんな季節を感じるのだろう。

次は夏の終わりではなく、秋のはじめを見つけようと思う。

 

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