なぜ目の前の桜に気づかなかったのか

エッセイ

オフィスの前に、大きな桜の木がありました。

自動ドアを出ると真正面、10メートルほど先。
視界にしっかり入る場所に、立派なソメイヨシノが毎年咲いていたはずです。

それでも、10年前の私は、その桜をほとんど認識していませんでした。
思い出せるのは、年に一度あるかないか。

目の前にあったのに、見えていなかったのだと思います。


桜並木は見えていた

同僚と「花見をしよう」と外に出たとき、
徒歩5分ほどの桜並木には自然と目が向きました。

そこでは桜を見ていたのに、
毎日通っていた場所の桜は見えていなかった。

同じ桜なのに、なぜだろうと思います。


何も見ていなかった時間

その頃、外に出るときの視線は、たいていスマートフォンに向いていました。

仮にスマートフォンを見ていなくても、
頭の中は次にやることでいっぱいでした。

仕事の続き、帰ってからの家事、週末の予定。

目は前を向いていても、
何も見ていなかったのだと思います。


同じ桜でも、毎回違う

今、同じ場所の桜を見ると、毎回違って見えます。

蕾が出てきている日。
来週には咲きそうだと思う日。
花が咲き始める日。
満開のとき。

散り始めて、地面に花びらが落ちているとき。
葉が出て、やわらかい緑になるとき。
少しずつ色が濃くなっていくとき。

同じ桜なのに、見ているものはいつも少しずつ違っています。


見えているのは、桜だけではなかった

振り返ると、花が変わったわけではなく、
自分の状態が違っていたのだと思います。

桜があるかどうかではなく、
見える状態にあるかどうか。

人は何かを見ているようで、
見られる状態にあるものだけを見ているのかもしれません。


おわりに

あの頃、目の前にあった桜は、今と同じように咲いていたはずです。

ただ、見えていなかった。

そう思うと、今見えているものも、
本当はまだ見えていないものがあるのかもしれないと感じます。

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