2026年1月6日の芹乃栄(せりすなわちさかう)という七十二候は、年末年始に宮城県でセリ鍋を頂いて実感が湧いたので、ここ数年の芹についてや派生して七草についてもまとめたいと思う。
貴方の近くのスーパーでも芹が売っていたら、ちょっと思い出してみてほしい。
① 七十二候の六十七候目「芹乃栄」──正月が終わったあとの暦
七十二候でいう「芹乃栄(せりすなわちさかう)」は、小寒の末候にあたる。松の内が明け、正月の賑わいが静まり、寒さがいよいよ深く感じられる頃だ。七草の日はすでに過ぎてしまったけれど、暦の感覚としては、まだこのあたりに季節が留まっているように思う。
行事としての正月は終わっても、身体はすぐに切り替わるわけではない。むしろこの時期こそ、祝祭から日常へ戻るための“調整期間”のような時間が流れている。

② 食べすぎたあとに、身体が欲しがるもの
正月に食べすぎたあと、不思議と欲しくなるものはだいたい決まっている。葉もの、大根、そして粥。健康にいいから選ぶというより、身体が自然とそちらを指さす感じに近い。
七草粥も、「一年の無病息災を願う儀式」という説明以前に、そうした身体感覚の延長として生まれてきたのではないだろうか。食べすぎたあとに、軽く、温かく、負担の少ないものを欲する。その素直な欲求を、暦の言葉で包んだのが七草なのだと思う。
③ 芹という植物が、この時期に“栄える”理由
七草の筆頭に置かれる芹は、冬でも青さを失わず、香りの強い植物だ。湿った場所に生え、寒さの中でもゆっくりと伸び続ける。派手さはないが、滞りをほどくような存在感がある。
「芹乃栄」という言葉も、春の始まりを告げるというより、冬の終盤に向けて身体を整え始める合図のように響く。勢いよく何かが始まるのではなく、静かに、しかし確かに、内側が動き出す感じがある。
④ 七草の寄せ植えを見る|向島百花園と上野牡丹園
七草を“食べる前”の姿として眺められるのが、庭園に置かれた寄せ植えだ。向島百花園や上野牡丹園では、七草が一鉢にまとめられ、正月の展示として並ぶ。
そこにあるのは、効能の説明でも、行事の解説でもない。ただ冬の草が寄り集まり、静かに置かれている風景だ。食材として知っている植物を、少し距離を置いて眺める時間は、正月の余韻をゆっくりと手放すための“間”のようにも感じられる。

⑤ 仙台の芹鍋|祝祭ではなく、冬を越す食事
七草粥と同じ文脈で思い出すのが、仙台で食べた芹鍋だ。葉だけでなく、根まで使う鍋料理で、香りが立ち、噛むほどに土の気配が残る。
華やかな料理ではないが、食べ終わると身体が静かに元の位置へ戻る感じがする。祝いの席の料理というより、寒い季節を無事に越すための食事。七草粥と芹鍋は、形は違っても、同じ季節感覚の延長線上にあるように思う。

⑥ 行事は過ぎても、暦はまだ働いている
七草の日は過ぎた。けれど、芹はまだ青く、暦もまだ働いている。七十二候は、当日だけを消費するものではなく、少し遅れて噛みしめることで、かえって輪郭が見えてくることもある。
今、葉っぱと大根と粥がうれしいと感じるなら、それがこの時期の身体の正直な答えなのだと思う。行事を守れたかどうかより、季節にどう応答しているか。その感覚を確かめる時間として、「芹乃栄」はまだ十分に生きている。

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