こんにちは。先日の奈良市旅行では、材料としての「木」の観点からも楽しむことが出来ました。
どんなものがあったか、ご紹介したいと思います。
この記事を読むメリットは?ゴールは?
仏像はなんの木材で作られているでしょう?
クスノキやカヤ、ケヤキ、ヤマザクラ、ヒノキだそうです。
『ひとかけらの木片が教えてくれること』でも、仏像にカヤやヒノキが使われていることが記載されていました。もともとはクスノキで作られていたのですが、中国から「柏木」(=カヤとされる)という観念が日本に取り入れられたからと考えられています。魔除けや弔いに使用するとよいと考えられていたようです。
奈良国立博物館の教育普及スペース「ちえひろば」にて学びました。仏像の作り方や種類、手の形の意味など分かりやすく、3歳の子どもでも取り組めるものもありました。
建築に見る木材
スギの木をくりぬいて作った井戸、ヒノキの井戸×2.
奈良時代のものが今も残っているのは、土地に理由がありました。平城京の下には豊かな水脈があるため、水につかったまま残されていたためです。水につかると腐食すると考えていましたが、そういった菌が増殖しにくいため残ったそうです。そのため平城京では木簡がわんさか出てくるそうです。
柱も残されていました。
排水管も木材。木樋(もくひ)と言われていたそうです。
目の前に、1000年以上のものがどんどん見られるので、江戸時代の情報が出てくると、最近のことだと思ってしまいます。
プラスチックやコンクリートは1000年後にこんな風に残っているでしょうか。
青森県の三内丸山遺跡の有名な6本のクリの木の柱も、今は日本では手に入らず、ロシアから輸入したとのこと。縄文時代、奈良時代に至るまで、1000年以上も残る立派な樹木がそこらにある日本だったのでしょう。少し切なくなりますね。大木を見ると、心が動くのはその名残なのかもしれません。
井戸や柱、排水管はすべて平城宮跡内の平城宮跡資料館・平城宮いざない館にて当時の物を見られます。
奈良時代には、札もメモもトイレットペーパーも木だった
聖武天皇の大嘗祭木簡を見ることが出来ました。全国各地より名産品が送られてきたことが分かります。(聖武天皇の大嘗祭木簡 | 奈良国立博物館)
こういった日常でどう木が使われていたかは漫画『あをによし、それもよし』にてよくわかります。この漫画での予備知識があったため、興味を持ってみることが出来ました。当時は紙は大変貴重だったのですね。
また、今年の3~5月に「文字が語る古代のくまもと」@くまもと文学歴史観でも国宝の木簡を見ておりました。
いろいろと繋がるものですね。
参考図書
『木に学べ』 西岡常一さん
『ひとかけらの木片が教えてくれること』 田鶴寿弥子さん
『あをにより それもよし』 石川ローズさん
終わりに
奈良に行くと、現代の製品がいかに陳腐なものか、身近にあるすべての物は1000年以内、いや100年以内には朽ち果てることが分かります。
1000年先に残るからなんだという話ですが、SDGsを語るなら、長く残るものを身に着けたいし、周りに置いておきたいと、あと数年で壊れるであろうPCをカタカタ打ちながら考えています。
合掌。
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