太田道灌と言えば、江戸城建築した人であり、山吹とのつながりは・・・?と疑問に思う方に読んでいただきたい記事です。落語も好きであればなおさら。
4月に見られるその名の通り山吹色の山吹と太田道灌についてまとめてみました。
太田道灌とは
太田 道灌(おおた どうかん)は、室町時代後期に関東地方で活躍した武将。武蔵守護代・扇谷上杉家の家宰。摂津源氏の流れを汲む太田氏。諱は資長(すけなが)。太田資清(道真)の子で、家宰職を継いで享徳の乱、長尾景春の乱で活躍した。江戸城を築城し、武将としても学者としても一流という定評があった[1]。 wikipediaより
また、今の川越市に河越城も築城した人物です。
山吹とは
サクラが終わると同時に咲き始めるのがヤマブキです。非常に華やかな黄色い花が野山を彩り、平安貴族たちにも大いに愛され、多くの歌に詠まれました。
その色彩が愛され、男女ともに盛んに装束に用いました。『源氏物語』(末摘花)や(玉鬘)などを見ますと、華やか、ゴージャスといった演出をすべき時にヤマブキ色は用いられたようです。
山吹、白山吹、八重山吹とあるが、八重は桜と同様、結実しないようです。
太田道灌×山吹 和歌と落語
山吹と言えば
七重八重 花は咲けども 山吹の 実の一つだに なきぞあやしき
『後拾遺和歌集』兼明親王
が有名な歌である。
これは、落語の「道灌」であるように、道灌公がある家でみのを借りたいとお願いした時、
そこにすむ少女がヤマブキを差し出したのに感心した話である。
「みのがひとつもない」というのをこの歌とかけてヤマブキを差し出したのだ。なんと素敵な対応でしょうか。
恥ずかしながら、私は落語で「太田道灌」を知りましたし、山吹や和歌もここ数年に知りました。しかし、それががつながり、それを表現している川崎に行き、太田道灌がヤマブキの枝を持っているのを見て、萌えました。
終わりに
大河ドラマの「光る君へ」のまひろの黄色の衣装は山吹色のようですね。黄色ではない、「山吹色」。それをどこか遺伝子レベルで分かってしまうので、しみじみと日本人であると自覚し、山吹を今まで以上に美しく感じるようになりました。
まだまだ山吹は咲いていますので、見つけたら和歌を口に出してみてください。
追加
5月。花のように見えますが、ガクかしら?
8月。結実していました。ヤエヤマブキではないということですね。
10月。皇居東御苑の日本庭園脇にて。シロヤマブキの実。
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